のぞむし さま ◆ 「俺の名前を気安く呼んでいいのもあのバカ猿だけだ」



 悟浄にとって、それはふとした気まぐれだった。

 久々の宿屋。それも単なる小さな村などではなく、色とりどりの食材が並ぶ市場や娯楽施設まで充実した大きな街。人々の声が行きかう、活気のある街通り。相変わらずの野宿続きで満足に水浴びすら出来なかった中で、こんな歓楽街まである街にたどり着いたのだ。悟浄にとってはこれで羽を伸ばさないわけはない。
 久しぶりの居酒屋での夕食はあまり長安では食べ慣れない、エスニックな食材や味付けのものだったが、ビールによくあって、悟空といい勝負なくらい、これでもかと頬張った。宿屋に戻ってきて、ひと風呂浴びて、一服すると、時計は十時を回ったところだった。それでも窓から見える街にはまだ賑やかな人通りと飲食店街の明かりが見える。早々に隣の部屋に引き上げた三蔵と八戒はすでに休もうとしているかもしれないが、悟浄にとってはこれからが本番の時間だ。
 問題は……、と悟浄は自分の隣のベッドを見やる。
 問題はなぜだか本日、同室になってしまった悟空だ。
 (・・・continue)




michiko さま ◆ 「置いてきゃしねぇよ…こんなどーしよーもねェバカひとりで――」



 紫陽花の花の色が鮮やかになる季節。
 悟空の養い親の嫌いな雨の季節。
 けれど、今年はまだ、初夏の爽やかな風と陽差しが、緑に染まる世界を照らしていた。
 そんな世界の美しさに目を向けることなく、毎日、紙の山と戦い、難しい顔をして大勢の人の前に立って話し、深いため息をこぼしながら来客と会い、出かけては疲れ切った顔で帰って来る養い親の様子を悟空は、黙って見つめていた。
「一体、いつになったら三蔵は暇になるんだろ…」
 数えるのも飽きてしまった独りの夕食を食べながら養い親の側仕えに問えば、
「そうですねぇ……今、準備している行事が終わったら少しお暇になると思いますよ」
 そう返事が返った。
「少しだけなんだ……」
 (・・・continue)




みつまめ さま ◆ 「自分の為に決まっているだろ!」



 砕け散った岩壁が、洞窟の壁に当たって転がる。
 薄暗い洞の向こう側も暗闇が広がっていたが、そこから現れた子供は三蔵を見ると眩しそうに笑った。
「やっぱ、生きてンじゃん!」
「……うるせぇ、てめぇも……ボロボロの癖に」
 マントも破れ、アチコチ擦り切れたように敗れた服。
 わずかに苦しそうな息遣いと右足の引きずり方からすると、どちらかにヒビでも入っているのかもしれない。
 土煙が引いた後、互いに姿を確認した三蔵の口をついたのは、「何の用だ……ヘマしてとっ捕まった野郎なんざ、置いて先に行っちまえば良いだろうが……」という嫌味だった。
 そんな投げやりな言葉に、悟空はフンと鼻を鳴らした。
 (・・・continue)




瀬那風雅 さま ◆ 「殺してやるよ」



 暗くて深い…深い闇の中。
 どこまでも行っても真っ暗闇で。
 目が開いてるのかさえも不確かで。

「  」
「……ぇ?」

 誰かに呼ばれてる気がして周りを見回して。
 でも、誰も居なくて。
 闇雲に走ってみても方向さえ分からなくて。
 しゃがんでも寝っ転がっても、どっちが上で下なのか分からない。

「 」
「……っどこにいるんだよ!」
 (・・・continue)




蘭 蘭子 ◆ 「めんどくせぇ……」



 蒸し蒸しと肌に張り付く夏特有のやっかいな熱。その上、朝から不機嫌だった鉛空から、生温い小さな雨粒が辺りの音を吸い込むように降り注ぎ出した。
 盛夏の雨と云えば、鈍色の天を引き裂く稲光と共に、大地を叩き付けてくる大粒の雨が多いのだが、今日は梅雨の名残を思わせる、静かな雨が降っている。
 普通ならば雨が降れば多少の涼を感じるのだが、高い湿度で気化による放熱を封じられ、不快指数は益々上がるばかりだ。
 桃源郷で最大の都市、長安。その中でも随一の歴史と格式を誇る慶雲院。広い敷地内に広がる蓮池の最奥に位置する三蔵の執務室も、大きく窓を開け放っているものの、酷い湿気と籠った熱で満たされていた。
 そんな状況でも、この寺院の最高責任者たる三蔵法師には、休んでいる暇など与えられない。今朝ほど、小坊主が盆に乗り切らないほどの巻物と書類を恭しく執務机に積み上げていったばかりだ。
 (・・・continue)




宝厨まりえ ◆ 「――ずっと変わらない大事なモンがある」



 目を開けると、目の前が暗かった。パチパチと瞬きを繰り返して、視界を調整する。薄暗いなか少し先に、ぼんやりと浮かび上がってきたものは。
 思わず目を眇めて、二度見する。
 一定の間隔で並んだ岩の柱。貼られた札。
 それは――。
「岩牢……?」
 呆然とした自分の呟きが耳に入ってきて、急にその光景が現実実を帯びてくる。手を伸ばして触れてみようとして、ジャラリと鎖の音がした。
 反射的に見ると手首に枷が嵌められていた。びっくりして一歩引いた足首にも。
 呆然としたまま、動きを止める。
 これは――どういうことだろうか。
 (・・・continue)




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